かつて鵠沼にあったという料亭割烹旅館「東屋」。
鵠沼海岸駅には、かつての東屋付近に立つ記念碑を案内する地図があり、知ってはいたのですがあまり身近なものではありませんでした。
ただ、最近思いたち、初めて記念碑を訪れてみました。
その場所は鵠沼海岸駅からほど近い住宅街の中にあり、当時を忍ばせるものはほとんど残っていません。ただ、見慣れたはずのこの土地に、かつて文人たちが逗留した壮大な旅館が建っていたと思うと、なぜか心惹かれるものがありました。鵠沼海岸という慣れ親しんだ場所が、歴史のレイヤーを重ねることで、急に異なった色彩を帯びてくるように感じました。
以来、東屋について、少しずつ調べ始めているのですが、東屋の歴史は、鵠沼海岸の歴史と非常に密接に関係しており、近所の道路や建物なども、当時の東屋へとつながっていくことがあり、とても面白いです。
例えば、東屋旅館を起こした伊藤将行の功績をたたえる鵠沼海岸別荘地開発記念碑記が、自分にとって日常の場所である、江ノ電鵠沼駅の神社である「賀来神社」にあること。東屋に逗留した文人である芥川龍之介が、その鵠沼駅から東屋へと向かう道をハイヤーで行き来していたであろうことなど、自分が歴史の上に立っていることを改めて思い起こさせてくれます。
結核の療養地としての鵠沼、別荘地としての鵠沼、リゾート地としての鵠沼にも、東屋の歴史と切り離せないものであることが分かってきました。
これからまた少しずつにはなりそうですが、東屋と鵠沼の歴史について、調べていきたいと思っています。