僕は高校時代にラグビーをしていました。
とはいえ、決して強いとは言えない、公立高校での話。
1995年の秋、僕らの高校は県大会の3回戦、私立高校に30点差をつけられて、あっさりと引退。
チームとしても、もちろん選手としてもパッとしませんでした。
それでも、高校時代を通して、ラグビーは僕自身だったと言えます。
彼女もいないし、勉強も特別できない、クラスでも目立たない。
下手でも弱くても、それでもラグビーをしていることだけで胸を張っていました。
スポ根が良いとは思いませんが、「泥だらけ、傷だらけになりながら、仲間とボールを追った記憶が、最後に自分自身の意地とかプライドを支える。」
そういうことが、ラグビーに限らず、スポーツをしたことのある人には、きっとあると思うんです。
その年、ラグビーの日本代表はニュージーランドを相手に145対17の大敗を喫しました。
ニュージーランド戦の敗戦は、世間でも注目を浴び、歴史的惨敗と言われ、ニュースでもたびたび取り上げられました。
「ラグビーって弱いんだ」と、思われることが悔しかった。それは自分自身を支える、唯一の柱だったからかもしれません。
一浪した後、大学でラグビーを続けなかった僕は、何となく後ろめたい気持ちもあり、いつしかラグビーのことは心の隅に追いやりました。
そして、ほとんどラグビーを観ないまま、2015年、ワールドカップの年を迎えることになります。
初戦である南アフリカ戦。
普段はラグビーをほとんど見ていない僕ですが、やはり、日本代表の試合は気になり、1人テレビの前にいました。
「よくある善戦。結局どこかで負ける。」そう思いながらも、拮抗した試合に握りこぶしはギュッと握りしめられていました。
必死で闘い続ける日本代表を見ながら、なぜか試合が終わる前から視界はぼやけていました。
後半20分ごろだったか、高校のラグビー部同期5人のグループLINEに連絡がきました。
「見てる?」
意外なことに全員が観ていました。
僕を含めて、ほとんどのメンバーは高校でラグビーを辞めていて、普段ラグビーの話もほとんどすることはありません。
「みんな、結局ラグビーが好きなんだな」と思うと、ちょっと嬉しくなりました。
そこからLINEを通じて、5人での観戦が始まりました。
「いけー」
「行けるぞ、勝てる!」
「五郎丸!」
グループLINEには、次々とメッセージが入ってきます。
いつぶりだろうか、彼らと一緒にラグビーを見るのは。
僕は久しぶりに一緒にラグビーをしているような、不思議な気分になりました。
中年に差し掛かったいつかのラグビー少年たちは、南アフリカにタックルし続ける日本代表と、がむしゃらに楕円球を追っていた、かつての自分を重ねていたのかもしれません。
そして、最後のパスが、マフィからヘスケスへ。
掠れた視界の中でも、ボールがしっかりとグランディングされているのは分かりました。逆転。
ノーサイドのホイッスルが響く中、あとからあとから涙が溢れました。
高校の同期たちも全員が泣いました。
画面の中の日の丸をふるおじさんも泣いていました。
ラグビーを続けている人も、どこかで挫折した人も、
ラグビーをしたかったけどできなかった人も、
どこかでラグビーに携わった人はみんな、
きっと同じ気持ちだったんだと思います。
「僕らが憧れたラグビーはやっぱりすごかった。
日本代表は、それを証明してくれた。」
………
僕にとってニュージーランド戦の大敗と、3年時の花園予選3回戦での敗戦は、どこか陸続きだったように思います。
僕があきらめたこと、見ないようにしていたことを、ラグビー日本代表は20年かけて「出来る」と証明してくれました。
下手くそなりに必死でラグビーボールを追ってたあの頃の自分。
同じ気持ちになるのは無理でも、少しでも向き合って、一歩ずつ足を搔いてみようと思います。
エディー・ジョーンズ監督とラグビー日本代表、全てのラグビー関係者、
そしてラグビーに心からの敬意と感謝を込めて。