小学校のころの国語の教科書に載っていた「僕なりの美学」という物語。
詳しいところまでは覚えていないんですが、小学生の「僕」が草野球で打ち損ねてしまい、一塁に走るのを途中で止める。すると、それを見ていた大人に怒られるんですが、そこには打ち損ねたら潔くあきらめるという「僕なりの美学」があった、という話だったと思います。
僕なりの美学とは言っても、周りから見たらやる気のないプレーにしか見えません。
全体の士気に関わるし、あきらめなければセーフになる可能性も0ではないので、視点を「僕」という視点から、「チーム」という視点に上げれば、自ずと一生懸命走るのが正しい姿だと思います。
そりゃ、怒られますよね。
ただ、他から見て利己的であったり、あきらめであったとしても、そのときの「僕」にとって途中で走るのをやめることは、「潔さ」であり、心の中にある何だか大切にしたいもの。少年なりの正しさはあるのだと思います。
実は自分にも「ああ、そこには僕なりの美学が…」と思うことが結構あって(笑)、そこは後から考えると視野の狭さだったり、思い込みだったりするんですが、これをちょっとでも認めてもらえるとホッとするんですよね。
当然、生きているうちには、「僕」側ではなく「大人」側に立つこともあるわけで、相手と意見が食い違うときに、簡単に批判や否定をして、平気で美学を傷つけていることもあるかもしれません。
相手の意見や行動を表面でみるだけではなく、裏にある美学や人間性にまで目を向けられたら、批判や否定から一歩抜け出して、同じ方向を向いて話ができるような気がします。
なぜか心に刺さり続けている、「僕なりの美学」についての話でした(笑)